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原爆と同性愛をつなぐ言葉があるとすれば/あるいは僕はもうどこへも逃げない

08-11,2010

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 昨夜九時半、テレビから聴こえてくる声がある。
 「請われるがままに水を飲ませると結果として死につながるから泣く泣く水を与えなかったのです」そのとき僕は豚肉と茄子の料理を口に運んでいるところだった。
 水を飲ませたら死んでしまう? 熱中症のニュースだろうか。「けれど水をあげなかったとしても翌日には体中に広がる火傷のため死んでしまい、それからは、あのときどうして父に水を飲ませてやらなかったんだろうと悔やむ日々です」
 べつの声が続く。「火傷により体じゅうの肌が焼け落ち全身ピンク色の塊になったひとが『わたしは何も悪いことをしていないのに』と叫びながら死んでいったのです」

 そうか、原爆だ。そういえば長崎の原爆は八月九日だった。NHKの原爆特集だ。
 テーブルに並んだ豚肉はすっかり温もりをなくしている。固くなったそれを見ているうちに肉の塊ということばが頭に浮かび、それが原爆の証言と連鎖して食欲をうしなう。箸を置く。
 NHKの長崎原爆の特集番組はそれからも声を重ねるようにいくつかの証言を紹介する。
 被爆者の記憶。それらはどのような文学作品よりもリアルに響き、僕のなかのなにかを喚起する。あの日起きた出来事をまるで追体験しているかのように僕の目のまえに情景が広がっていく。いくつかの証言により、心が張り裂けそう胸の痛みさえ感じられる。けれども僕の追体験は身体的苦痛や肉の焼けるような臭い、あるいはまだ見ぬ長崎の風景を欠いている。
 証言は終わらない。被爆してからも就職や結婚などあらゆる場面に差別がつきまとった。「この六十五年の苦しみはなんだったのか。自死さえかなわなかった地獄のような人生」

 そして番組は視聴者からの、つまり原爆=非体験者からの声を紹介する。十九歳男性。「僕はまだ大学生ですが悲惨な体験を耳にして核のない世の中にしようとあらためて誓いました」
 次いで似たような感想がいくつか紹介される。番組の狙いはあきらかで、紹介されるのはいずれも十代、あるいは二十代はじめの視聴者の声である。純粋な、あるいはこう言ってよければ愚鈍にさえ聴こえる感想。僕のなかのなにをも動かさない言葉。しかしその未熟さは、はたして彼らが「まだ大学生」というその若さゆえ、つまり語彙や経験の貧困さにのみ起因するのだろうか。
 僕だったらば、と考えてみればいい。たとえば僕だったなら、「番組へ手紙という形で証言を寄せるまでには苦悩があった。できれば死ぬまで思い出したくなかった」と前置きして語りはじめるひとたちにどのような応答ができるのだろう。壮絶な体験、言葉にしえぬ言葉をまえにしてあらゆる応答/ことばをうしなってしまうというその体験こそ、僕たちが非体験者であるという事実の証左そのものではないだろうか。
 特集番組は、しかし大学生の声を無視するかのように核をめぐる政治についてはなにも言及しない。他の番組がそうであるように、非核三原則を謳うこの国の政治的欺瞞については問題化されない。原爆をめぐる報道は被爆体験というやり場のないかなしみを喚起するけれども、行き場のない怒りについては口を閉ざしたままだ。
 
   ★     ★      ★

 義父が死んで一年後には、子供ができた。彼はあわてた。子供が生まれたら、もうこの土地から出られなくなる。それが実感だった。この村のこの暮らしが、そのまま人生になってしまう。これは違うんだと思っていたかった。これは違う、これ以外のどこかに本当の人生がある。
(矢作俊彦『ららら科學の子』文春文庫、346頁)


   ★     ★      ★

 十八歳になったばかりの僕は、家族の致命的な不和から逃れるように故郷である大阪を去った。心が理不尽に壊されるまえに、口を閉ざし、母とゆきを家にのこして逃げるように上京した。
 二十六歳になった僕は東京での生活にも不満を覚えるようになった。「ここではないどこか」にこそ本当の居場所があるのだと信じて、十八歳のときに故郷を去ったようにやがて日本から出ていく決意をした。
 けれどもある文学作品があらかじめ示していたように(二十六歳の僕はすでにそれを読でいた)、僕の決定的な過ちは僕が生まれ落ちた場所あるいは環境にあったのではなく、どこで生活していても ”somewhere but here” という幻想を抱いていたところにこそあったのだと知る。なにがあってもここで生きていくんだという悲壮な覚悟が僕には欠けていたのだと、わかる。
 
   ★     ★      ★

 「ぼくたち、生まれる時代をまちがえたね」と陽が言った。
 薩沙は陽のほうを見た。手に頭をのせて天井を見つめる彼の顔には、何かをあきらめた老人のような表情があった。うつろな美しさの裏にひそむ世界を目にするのはつらいし、おそろしいことでもあった。「生まれる場所をまちがえたんだよ。問題はそっち」薩沙はそう言って、陽も自分も元気づけようとした。
 「ねえ。あたしといっしょにアメリカに来ない?」
(イーユン・リー「ネブラスカの姫君」『千年の祈り』新潮社、100頁)


   ★     ★      ★

 そして二十七歳になった僕は、生きる場所を主体的に選ぶことができるようになった。逃げるようにしてではなく、口を閉ざすこともなく、生きていく環境を自由に選ぶことができると思う。「ここではないどこか」という幻想を捨てても生きていかれると思っている。

 たとえば同性愛行為が公になるだけで死罪になる国がいくつかある。思い出したかのように日本でもときどき言及される遠い国の出来事だけれど、ムスリム国家であるマレーシアに生活する僕にはそれほど隔たりがあるとは思われない場所で、同性愛という理由によりひとが殺され、あるいは迫害を受けることがある。たとえば僕がここに書き連ねているようなこと、ふたりの写真を公の場に載せたりあるいは外で手を繋いだり、そんなささいなことが命とりになってしまう場所がある。
 そのような一部のムスリム国家国では、全身の肌が火傷により焼け落ち、もはや人間とは判別できないような姿に変わり果ててしまったそのひとが六十年前の八月九日に叫んだように「わたしは何も悪いことをしていない」と、同性愛者が死罪をまえにして言明することが許されるのだろうか。そもそも人間は悪いことをしたから/していないからという理由で殺されることを容認されてもよい存在だろうか。
 同性愛行為をめぐる善悪の判断、言い換えれば、同性愛を自然/不自然と区別することの自明性はアカデミズムの世界ではすでにうしなわれている。その世界に身を置いたことのある僕はそれを知っている。それにもかかわらず、公の場で、パートナーの手を握ることにうしろめたい気持ちを払拭することができないでいる。たかが手を繋ぐことにさえためらわれてしまう現実がある。

 ところで僕たちが中国へ旅行するときの気軽さを、中国人は日本という国にたいして持つことができない。僕たちは時間と金さえあればなんの障壁もなく、学生でさえ中国を自由に旅することができる。しかし、中国人が日本へ行くためにはビザの取得が不可欠であり、そのために一定額以上の所得が必要であるという事実がある。
 中東ムスリム国家における同性愛の事例を引き合いに出すまでもなく、国境による選別、圧倒的な不平等、あるいは国の政治体制から、僕たちは誰ひとりとして逃れることができない。薩沙と陽が北京を離れてアメリカの生活を夢みたことについて、「そんなの逃げでしかないよ」と一笑にできない厳然たる不平等感が世界中のあちこちにある。

 二十七歳になった僕は、ここマレーシアでパートナーとの生活をたのしみ、その様子をこうして公の場に持ち込むことができる。男どうしなんてキモチワルイ死ねばいいのにとそれでも言われることがあるけれど、そうではない、温もりのあるひとたちもここにはいることをいまでは僕は知っている。

 原爆の証言が六十年のときを経て僕を揺さぶり、同性愛についての思索を深める。それらをつなぐ言葉は僕のなかにあるはずだ。そして僕はどこへも逃げない。

   ★     ★      ★

 「逃げて」、はっきりとしたクミコの声が僕に言った。「今ならまだあなたは壁を抜けることができる」
 僕の考えていることが本当に正しいかどうか、僕にはわからない。でもこの場所にいる僕はそれに勝たなくてはならない。これは僕にとっての戦争なのだ。
 「今度はどこにも逃げないよ」と僕はクミコに言った。
(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第3部』新潮文庫、465頁)



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COMMENT

ああ!りふのチョッパ着てる!!ぶ!
2010/08/11(水) 20:17:45 |URL|lifu #- [EDIT]
いろいろと考えた事や心が動いた事があるんですが、なかなか上手く説明出来ません…
ぶー!

本当に核の無い世界、不平等の無い世界を望むなら覚悟が必要ですね。
核の傘から出て核廃絶を訴える覚悟
不平等の無い世界を作るために全ての人の価値観を受け入れる覚悟

核はダメとか自由と平等は良い事だと思っても、まずは自分の事を中心に考えちゃいます。

憲法でも「すべて国民は平等であって」も、中国人は年収や職業で入国を差別出来ちゃうんですよね。
でも自分に不利益があるかもしれないと考えると、それはダメだとは言い切れない…

どうしたらいいんだろう…


何を言いたいのかよくわかりませんね〜
2010/08/11(水) 22:34:02 |URL|aoi #- [EDIT]
りふよ

そうやで。りふのチョッパー勝手に着てるよ。いっぱい汗かいて臭くなっちゃったから洗濯しないで土曜日着させてあげるね。ふふふ。このしあわせものめ!

aoiくん

ああ、aoiくんまでぶーぶー言いはじめてる!感染力おそるべし。

たしかに自分に不利益があると思うと躊躇してしまうことも多いんだけれど、日本を離れると、やっぱり日本は特別な国だと思うことがあって、でも僕が日本に生まれたのは偶然のことなんよね。あるいは中国だったかもしれないしマレーシア、インドかもしれない。そう考えると、もうすこし想像力が広がっていくように感じられるのです。

こういうことって理路整然としゃべれるひとのほうが案外、眉唾もの、というと言葉はわるいけれどそういうこともあって、あっちいったりこっちいったりしながら考えていけばいいんだと思ってます。

長文だったのにコメントありがとう。
2010/08/12(木) 00:17:25 |URL|げんや #- [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010/08/13(金) 17:20:02 || # [EDIT]
はじめまして。
いろいろ忙しくて大変やろうに長文コメントありがとう。(いちおうここに返信するので嫌だったらその旨教えてね。そのときは削除します。)

僕がこの文章をとおして言いたかったことはいくつかあるんだけれど、そのひとつは、ある不条理な出来事により被害をこうむったときに「何の罪もないのに」と免罪を請うことがはたして適切なのかということ。言い換えると、何か罪を背負った人間が不条理な出来事に巻き込まれてしまったときに「でも邪悪な人間だからしかたないよね」と言っても許されるのか?
こういう言い方はきっと正しくなくて、いかなる人間であれ、生きているものが原爆のような想像を絶する不合理な出来事に巻き込まれるべきではないという考え方を僕は採るべきだと思うのです。こういうふうに思考することでしか、罪を背負ったひとびと(たとえば同性愛者かもしれない)が迫害される状況を防ぐことはできないと思う。

僕がそうだったように同性愛という行為にたいして罪の意識を感じるひとはいまでもいるし、たとえその考え方に合理性がなかいと理解しているとしても、だからといって罪悪感をすぐに捨ててしまえるほど僕たちの人生は単純にはできていない。そもそも何をもって罪とするのか、ということも時代や社会によって変わってくるものだから。

僕自身、同性愛についてもそうだし、いくつかの事象によって生を阻害されてきたと強く感じることがあり、それを不条理だと十代の頃から声を大にして言ってきた。それにより周りの環境が変わることもあったし、そうでないこともあった。
それでも二十代後半のいまになって思うのは、結局のところ、自分の生を肯定するのは自分でしかないのかなという陳腐な結論で、でもこれって頭のなかで理解することと体感することのあいだには大きな壁があり、なかなかそう思えるまでには至らなかったです。

ところで中検おめでとう!すごいね。ブログ見てもがんばってるのが伝わってきます。
おっしゃるとおり、語学って実践のなかで生かしていかなければなかなか自分のものにはならないのに、そういう環境ってかんたんに得られるものではないからがんばりたいと思います。僕もがんばる!

勉強がんばってね。いやはや、将来有望な青年やなあ。
2010/08/13(金) 20:37:52 |URL|げんや #- [EDIT]

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