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希望の架け橋、あるいは暴力の根源性
01-06,2012

果たされなかった約束。鼻をつく汗の匂い。甘美で、獣じみたセックス。耳に残る、電話越しに聴こえる最後の声。涙により震える、声にならない、声。
いちどは僕の心をそのなかからあたためてくれた記憶のかけらが、いまとなっては僕のからだを内側から蝕んでゆく。まるで羽化を待つ蝉の幼虫のように僕のなかをもぞもぞと暴れまわる。気がついたときには中身を失くした抜け殻みたいに僕のからだは朽ち果てていくのかもしれない。僕がその中身ではなく、やがては打ち捨てられる殻のほうだったのではないと誰に言えるだろう?
★ ★ ★
北京大学から通知がきた。入学手続きが2月9日と知らされた。その数日前には現地へ渡っておきたいから、日本を去るのは2月の1週目となりそうだ。
本来ならばなにを差しおいても中国語の勉強だけに集中したいところだけれど、おおきな後悔と、消えない記憶に押しつぶされる日々がつづいている。
いまは、いちにちのなかで走っているときだけがゆいいつ自由になれる時間だ。だから、走る。走って走って、5キロだか15キロだかまいにち別の道を走って、見知らぬ風景と出会い、体力を消費するためだけに走りつづける。
そういうふうにして日々を食い散らかしているあいだに、29歳の誕生日を迎えた。
★ ★ ★
年をひとつ重ねることに、たいした感慨はない。28が29に変わっただけのことだ。僕という人間がそれによりおおきく変わることもないだろう。
とりたてて、焦りもない。ゲイは年を重ねることにたいして否定的にとらえるひとが多いようだけれど、僕にはその感じがわからない。身も蓋もない話だが、32歳になろうと、はたまた43歳になってもモテるときはモテるだろうと考えているからかもしれないが、というか、不特定多数にモテたいという願望がないからだと思うのだが、とにかく、そういう種類の焦りの感覚はない。
そんなことよりむしろ、ちょっとくらいマシな人間になれればいいな、と思う気持ちのほうがつよい。”I'll be a better man”。 僕の数少ない友だちのひとりが、そういうタイトルのブログをやっている。さいしょはつまらないタイトルだと思っていたけれど、案外わるくないと考えるようになった。向上心のつよい彼としては「いい男になってやる」という意味あいでタイトルを考えついたと思うのだが、僕なりに訳せば「いくらかはマシな人間になってみせる」というところだろうか。
I'll be a better man.
★ ★ ★
中国には、すくなく見積もっても2年間は滞在する予定だ。国境を越えたところで、僕という存在のろくでもない中身がおおきく変わることはないだろう。もちろん。
けれども、せめていくらかは変わることがあるかもしれない、ちょっとくらいはつよくなることができるかもしれない、そういうささやかな希望をポケットに無理やり押し込んで、中国という途方もないほどおおきな国を思うぞんぶん暴れまわってやろうと思っている。
I'll be a better man.
じぶんなりに納得ができる日を迎えるまでは、日本へ帰ってくるつもりはない。
★ ★ ★
お別れのことばを書き残してはこっそり更新するということを何度かくり返してきましたが、これを最後として、『国境、非在、あるいは百年の祈り』をきちんと終わらせたいと思います。最後の、ほんとうの最後まで、読んでいただきありがとうございました。
僕の、27歳から29歳までの記録でした。
いつかまた日本へ帰ってきたときに、笑顔でみんなに会えればいいな。

最後の写真をどれにするか悩みましたが、大阪串カツの「だるま」にてお茶漬けを食べているりふの姿をのこします。たいへんな道のりを歩きつづけてやっと日本に来られたんだものね。りふ、がんばったね。みんなも、ありがとう。
(このブログを読み返すことはないので、コメントをいただいても返事はしません。ご了承ください)
りふの訪日が正式に決まりました
11-22,2011

りふの訪日ビザがおりました。「親族・知人訪問ビザ」という種類で、15日間の日本滞在が認められました。
りふともども懇意にしてもらっているケイトさんの多大なるご協力のもと「身元引受人」を引き受けていただき、僕が「招へい人」として訪日ビザ申請をしました。
りふと僕の間柄を公的に証明する書類として、これまでのメールのやりとりや、各国で、いろんな時期に映したツーショット写真を50枚くらい用意して、いささかやりすぎと思われるくらい証拠を揃えました。もちろん、りふに日本語学習歴があることを示すため、日本語能力試験N2級を満点突破したときの合格証書も同封してやりました。あは。
と、僕としては最大限やれることをやったんです。それにもかかわらず、申請から承認までに予定の倍いじょうも時間がかかったんです。ちょーやきもきしちゃいました。これほど努力してビザがおりなかったら僕にできることはもう何もないじゃんか、ってね。
ひとまず、肩の荷がおりた思いです。
今回の来日はずっとまえからふたりで約束していたのです。僕からりふへの、大学卒業祝いの贈りもの。だから、なんとしても実現させてやりたかった。
★ ★ ★
さて、りふの日本滞在は12月7日−21日になります。
発着は成田空港、その前後一週間を東京で滞在し、残りは大阪で過ごします。
ふたりがお世話になっている人にはすでに予定を打診をさせてもらっています。ただ、さいきんでは僕の知らない友人も増えているようなので、ぜひりふに会いたいという希望があれば直接連絡してあげてください。
りふのツイッターのアカウントはこちらです。ただし中国ではツイッターへのアクセスが禁止されているうえ、西安の自宅でのネット環境がひじょうに不安定にあるらしく、ツイッターよりもメールのやりとりをお薦めします。
りふのメールアドレスはここには書きません。やりとりを希望される場合はこのコメント欄にメールアドレスを残してください。興味があれば、りふのほうからお返事がいくと思います。(*管理人にしか見えない形で書き込みができますし、メールでのやりとりなら僕を介さずに連絡することも可能です。もちろん僕に宛ててくださってもけっこうです)
この機会を逃すとつぎはいつ訪日できるかわからないため、ご興味があればぜひご連絡をください。お待ちしています。
ぶう。

みなさんへのささやかな応答(コメント返信)
11-04,2011

お元気ですか?
10月に入ってから書いた記事にお寄せいただいたコメントにたいして、お返事を書きました。更新されたことをみなさんに気がついて欲しかったため、新しい記事に書くという形でまとめています。
もとはといえば、先週末には返事をしますと宣言していたのです。それが一週間近くも遅れたのはひとつには僕が怠惰だからかもしれませんが、それいじょうにみなさんのコメント一つひとつに向き合って対峙することが想像を遥かに超えてきつい作業だったからです。
温かみのあるコメントにしても批判的な内容のコメントにしても、どのような形であれ、いただいたことばの一言一句をじぶんのなかに消化していくのはとても骨の折れる作業でした。何度もなんども「もういいや。無期限休止って書いたんだし誰も返信なんて望んでいないかもしれないし、このあたりで見なかったことにしてしまおう」という考えが頭をよぎったものです。酷いときには、返事をひとつ書き終えるごとに、逃避への欲求に襲われたこともありました。
それでも、きちんと応答しなければならないと考えたのは、ブログにおいて、みなさんとの交流によって得られたところがずいぶんおおきかったからです。二年近くブログをやってこられたのはやはり読者のみなさんからの予期せぬ応答があったからです。
それなのに、都合が悪くなったからといってぷんっと見て見ぬふりをしてしまうなんて、インターネットの世界ではあちこちで起きているのだろうけれど、僕はそんなふうに都合の良いコミュニケーションを望まなかったのでした。
そういうわけで、いろんな種類の応答を書いてみました。読んでいただけるとうれしいです。
あらためて、たくさんのコメントをいただきありがとうございました。
(写真は、中国から送られてきたりふの最新画像です。すっかりたくましくなっちゃって!)
★ ★ ★
「ポリガミーと浮気のあいだ、あるいは近況報告は酷いお話」(10月4日)
げんや→Pegateさん
こんばんは。ハンドルネームを変えて、ということですが、以前のお名前はどちら様だったのでしょう? 失礼ながら、文面だけでは把握できませんでした。ごめんね。
コメントありがとうございます。
Pegateさんのおっしゃるように、当事者が納得してるかどうか、これを、今回ブログを書くうえで僕もいちばん大切なことであると考えていました。外野はともかくとして、りふとたけるがブログを読んでくれたときに、それまで彼らと対面して交わしてきた言葉とはできるだけ乖離が生まれないように書きあげることを目指して、細心の注意をもって臨みました。
けれども、それだけなら、そもそもブログになど書く必要はなかったんです。そこが僕の業の深さというか、ブログを続けてきた理由にもつながるんですが、今回は、僕たち三人の置かれている複雑な状況を(僕が直接の原因をつくってるんですが)、できるだけ単純化しない形で、ブログを読んでくださってるひとに伝えたいと思った。「こんなことがありました」とただ説明するんじゃなく、みなさんの感情のどこかしらの部分にひっかかるような形でお伝えしたいと思ったんです。
詳細を述べませんが、結果的に、僕はそれについては失敗したと考えています。けれどPegateさんのコメントを読むかぎりでは、多くのひとには届かなかったかもしれないけれど少しでも伝えることができていたのかもしれないと思いました。
ちなみに結婚制度については、うーん、僕も考えるところが多々あるんだけれど、また次の機会にさせてください。
からだは元気になりましたが、縦横無尽に結婚制度をばっさばっさ切っていけるほどの体力と知力は戻っていないようです。
Pegateさんもお元気で!
げんや→名前空欄の方(10/06(木) 09:45:09)
僕は、28歳になって、人生がむしろ長すぎるんじゃないかと考えるようになりました。だからこそ、ときに迷い、頭をぶつけて、痛い思いをしながら/人にも傷をつけながら、それでも歩いていかなければならないんじゃないか、と。感傷に浸る時間がないくらい短ければ人生はどれくらい楽だったろうなどと思ったのは、28歳にしてはじめてのことでした。
どうでしょう。あなたはそんなふうに考えてみたことはありませんか?
「勢いだけの内容」については気になりませんでしたが、せめて名前を書いてくれればよかったのに!
げんや→パステルさん
こんにちは。
ブログを読んでいただきありがとうございました。
温かみのあるコメントをありがとう。
人の関係を「言葉でタグをつけてくくれるようなものではない」ということは、まさに僕がブログを十年いじょう書きつづけて、ずっと変わらず表現してきたことのひとつです。「恋人」とか「家族」とか「友だち」とか「元彼」とか、そういうことばには収まらない豊かな人間関係を僕たちはほんらいは持っているはずなのに、名前を付けてカテゴライズした途端、とてもちっぽけな関係性に収縮してしまうんです。そういうことについて、思えば、僕は思春期からずっと敏感な子どもでした。
りふもたけるも、かれらの存在なしにはいまの僕はいなかったと思えるたいせつなひとたちなんです。そして「たいせつなひと」なんていうつまらないことばに収まらないような日常を、また、そのうちめいっぱい描くことができればな、と思っています。
どうもありがとう。また会う日までパステルさんもお元気で!
げんや→てるさん
こんにちは。
そうですよね。驚きましたよね。ううん。
迷いについて。
てるさんの言わんとすることは理解できないでもありませんが、でもやっぱり僕にはわからないのです。僕がたけるに惹かれたのは、もちろんかれのような人に出会ったことがなかったという意味で「新鮮だった」という側面を否定はしませんが、けれどそういう一面だけではとても片づけられないくらいのやりとりをふたりのあいだに重ねてきたからです。
それに、りふとも、きっぱりさようならすることも、僕にはできない。とても都合の良い言い分に聞こえるでしょうし、そういうふうに「きれい」に人間関係を片づけてこられたかたにとってはエゴの発露としか思われないかもしれませんが、たけるやりふとの関係だけでなく、僕はこれまでに出会い、愛を交わしてきたひとともそういうふうに関係をつづけてきたんです。
ただ、僕の選んできた生き方が、この社会においてはひじょうに理解されにくい性質を孕んでいることは事実で(だからこそ、これまで生きづらさを抱えてやってきたんですが)、けれど、だからといって僕はじぶんのやりかたが間違っているとは思わないし、僕とおなじような思いを抱えている仲間がいることも知っているし、それゆえ、ずっとブログやホームページという媒体で、恥をさらしながらも文章を公開してやってきたのでした。
てるさんのお話は二者択一についての参考とさせていただきつつ、僕の考える人間関係にはやっぱり当てはまらないかもな、なんて思ってます。
コメントありがとうございました!
げんや→ちーさん
そうなんだよね。出会ってしまったことをなかったことにはできないんです。たけると出会ってから、「出会わなければこんなに苦しい思いをしなかったのに」と何十回思ったことか知れません。でもその苦しみを含めて、それでも出会わなければよかったとは今は思っていません。そういうことなんだと思います。
コメントありがとう。ちーちゃんだったのかな?(人違いだったらごめんなさい)
★ ★ ★
「倫理以前の問題系、あるいはぬくもりの分有」
げんや→のんちゃん
のんちゃん。お久しぶり。もちろん覚えてます。
振られちゃったのね。ううん。コメントのやりとりから雲行きが怪しいことはなんとなくわかっていたけれど、同い年どうしお互いにきつい時期を送っていたみたいね。
離れても、「笑顔が大好きだったけえ笑っていてほしいです」っていう気持ち、よくわかる。誰かのことを心から愛おしく思えると、たとえ恋をうしなったとしてもそのひとの幸せを願うことってできるんだよね。もちろん身を切られるようにつらいんだけれど、それとは別に他人の幸せを願う気持ちが自然と湧いてくる。そういう体験、僕にもありました。
僕はいまも無職だよ。28歳の無職どうし、幸せになろうぜえ!
コメントありがとう。
げんや→スタバキアンさん
はじめまして。
「おまえはそうやって浮気を繰り返すよ」っていうことば、耳にたこができるほど何度も言われました。笑。28歳まで、そういう経験なかったんですけれどね。人生なにが起きるかわからないものです、とだけ書いて、僕の応答とさせていただきます。
げんや→まきと
たくさん悩みました。でもね、悩みを、こうやって公開しなければこれほど非難を食らうこともなかったと思うんです。だから言ってみれば自業自得なわけです。はい。
ツイッターでもいろいろ気をつかってくれてありがとう。あたたかいコメントがとてもうれしかったです。
京都にもきてくれたのに、やっぱり話せなかったね。っていうか、京都ではことばさえほとんど交わせなかった。ごめんね。
今度こそゆっくりお話しましょう。まきとも体調気をつけて!
げんや→レモンママさん
ごめんね。僕としても、ずっとふたりを見守ってくれた読者のみなさんにショックを与えるのが、とてもつらかったです。
でもりふのことは心配しないでください。と、僕が言うとまたバッシングが来そうなんだけれど、りふは僕のブログをみなさんが読むようには読んでいないし、本人に言わせれば「音楽つくったり絵を描いたりするひとは変態だから僕の気持ちはふつうのひとには理解できない」らしいです。
というわけで、りふともぽちぽちやりとりしてますし、ビザの申請がうまくいけば12月には初来日が叶うかもしれません。また事態が進んだらご報告しますね!
レモンママさんが「今 幸せにしています」って書かれているのをみて、ああ、いいな、と思いました。
コメントありがとうございました。どうぞお元気で!
げんや→ももさん
はじめまして。
第一に、僕は、安定なんて「くそくらえ」だなんて思っていません。第二に、「自我を確立できてない子供」というご指摘がなんのことかわからない。
最後に、「得意の屁理屈」とおっしゃいますが、この社会において、「正しくない」とされるセクシュアリティを抱えて生きていくうえで、僕はたくさんの本を読んで、多くのひとから話を聞いて、じぶんの存在を肯定する理論を紡いでやってきたんです。けれど、そうやって少数派がことばを尽くせば尽くすほど、きまって多数派は「そんなの屁理屈じゃん」と一蹴しようとするんです。そういう差別闘争の歴史についてご興味があればいちど学んでみてください。
けれど、上記のご指摘いがいのお話は、僕の胸にすとんと落ちてくるところがありました。ご忠告、真摯に受け止めたいと思います。
コメントありがとうございました。
げんや→のりちゃん
コメントありがとう。いろんな種類のコメントをちょうだいしましたが、このブログ記事を書いてから僕がずっと胸に刻んで忘れないよう心がけてきたのはのりちゃんからのご意見でした。
非難が殺到することによって、僕たちがバラバラになってしまったら元も子もないって、ほんとうにおっしゃるとおりだと思いました。いまでもそう思ってます。
ありがとうね。つぎは東京で会えるといいな。
げんや→よねちゃん
コメントありがとう。うれしかったよ。
そうかもしれない。このブログに書いたような出来事があってからは、何をするにも気持ちが向かわなくて、ほんとうにきつい時期がつづいてました。よねちゃんにも迷惑かけちゃったし。ごめんね。
でもなんだかんだあったけれど、こういうかたちでよねちゃんと関係をつづけられているのがいまはほんまにうれしい。反省会が終わったらもじねえさんやゆちゃんを誘って、いつかのようにオールで遊ぼうぜ!
げんや→名前空欄の方(2011/10/07(金) 18:41:24)
なんというか、中国語ネイティブの方でしょうか? っていうのは茶化そうとしているわけじゃなくて、名前を書かれていなかったのが残念だなって思ったんです。
あなたのおっしゃることがよく理解できたから。「そうじゃない」と言ってしまいたい気分と、納得できるところの狭間で、僕じしん揺れ動いています。
げんや→kunntaさん
今回いただいたコメントのなかで、kunntaさんの文章は涙なしにはとても最後まで読めないものでした。
ずっと、ほんとうにずっと僕たちを見守ってくれたkunntaさんだからこその厳しいおことばは、いまも僕の胸に突き刺さったままです。
とても「過ぎたこと」じゃありませんでした。僕には兄がひとりいて、かれとはあまりうまくいっていないのですが、kunntaさんは、もしかしたら僕にとって理想のお兄さんのような存在だったのかもしれないなあと、今になり思います。
これからどう歩いていくか僕にとっても未知数な部分はおおきいのですが、いつかまたkunntaさんとやりとりできればいいな、と思います。
こんなふうに苦言を呈することを、たぶんkunntaさんご自身がもっともイヤな役回りだと考えていらっしゃったのではないかと察します。それでも言わずにはいられなかった。そういう状況に追い込んでしまい、ごめんなさいということばしかいまは出てきません。
ご忠告、いっしょう忘れずに胸に刻んでおきたいと思います。
ほんとうにありがとうございました。
げんや→おむおむさん
kunntaさん、おむおむさんとコメントが並んでいるところをみると、ああ、懐かしいな、と安堵を覚えるようになってしまいました。それほど遠い過去でもないのに。
コメントありがとうございます。
なんだか、じぶんでもよくわからないのです。どの行為が正しかったんだろう、とか、そもそも正しい/正しくないという線引きなんて出来るはずがないんですけれど、それでも考えてしまう。
しかしいまの僕にできることは、行為の結果を受け止めることなんだと、あらためて思っています。ああ、なんて難しいんでしょうね。28歳になって、あたらしい種類の感情をたくさん覚えたようです。人生って長いんですね。
げんや→ミドリさん
どうでしょうか。
僕は、ひととの関係によってじぶんを損なうことが起こりうると考えています。僕じしん、思春期のころにうまくいかなかった人間関係によってそれからの人生がおおきく、望まない方向に変えられてしまったと思っているし、それはつまり、じぶんが加害側にまわることもじゅうぶんありえるということなんですよね。
げんや→ナオさん
ありがとうございます。シンプルなメッセージに、胸がじんとしました。
ナオさんも、どうぞお幸せにね!
★ ★ ★
「かなしみだけではつながらない」
げんや→レモンママ
うふふ。
ありがとう。写真だけで、僕の真意が伝わったみたいでとてもうれしいです。
おっしゃるとおり、りふはとても可愛らしい乙女男子だけど、じつは僕よりずっと温かい心をもった男の子なんです。幼稚なかれを引っ張って、はやくオトナに成長させようとがんばってきた僕のほうが、あるいはかれに支えられてきたんだなと、いまになりよくわかりました。
でもねー、男女の恋愛でも、僕はこんなふうにやってきたんですよ。過去につき合った女性とはいまでも人生の岐路にさしかかるときには支えてもらっているし、もちろん、僕のこういう人間関係のつくりかたはなかなか理解してもらえるものではありませんでしたが、それでも、そうやってきたんです。
ゲイとは言っても、女の子いじょうに乙女な夢を抱いている男子が多いんですよ。ふふ。
レモンママさん、ありがとうね。
りふにも、レモンママさんからいただいたコメントはきちんと説明してあげようと思います。
★ ★ ★
「なぜブログを書かなければならなかったか、あるいはみんなさようなら」
げんや→なほさん
はじめまして。
コメントうれしかったです。思い切って書いてくださって、ほんとうにありがとう。
キラキラ輝いてみえましたか?笑)蓋を開けてみれば僕たちもつまらないことで喧嘩したりすれ違ったりしてきたのですが、それでもキラキラみえたということはやはり僕の文章力と写真技術のなせる技かなっ!というのは冗談です。調子に乗っちゃった。
58年生まれなんだ!同い年ですね。
それにバイセクシュアル女子ってことは、なんだか共通点がちらほら見えてきましたね。うれしいな。もっと早く知り合いたかったな。
なんてことは言わずに、ぜひゲイタンに参加してください。僕も会いたいです。ゲイタンが厳しければもっとささやかにお会いすることだってできるし、ぜひよろしくお願いします。
悩んだりうじうじする姿をひとにさらけ出すことがうまいと、ブログだけでなく友人からもよく言われます。弱いところをひとに見せられる、ということだそうですが、言ってみれば弱さがひとを惹きつけるところがあるのかもしれません。
コメントありがとう。いつかお会いできる日を楽しみにしてます。
げんや→がおさん
うふふ。がおさんのおっしゃるとおりだと思います。僕は、がおさんもご存知のようにこういう業の深い人間なので、そのうちまたひょこひょこ書きはじめたりするんだろうなあと思います。
また会いましょうね。見つけたら、ぜひ声をかけてください。
長いあいだ僕たちのブログを見守ってくださり、ほんとうにありがとうございました。
げんや→ゆやさん
こんばんは。
トイレのぞくのっていいですよね。僕だって、いくらでものぞきたいです。うんこじゃなければ!ですけれど。
僕はあいかわらずぐるぐるしてますが、みんな元気ですよ。そして三人ともなにかを表現せずにはいられないひとばかりだから、ここではないどこかで姿を見かけたとき、ぜひまた声をかけてください。
やさしいコメントありがとう。どん底に落ちていたときにゆやさんのコメントを拝見したので、トイレのぞきネタで、くすってしちゃいました。ふふ。
げんや→あいらさん
こんにちは。はじめまして。
16の女子高生!わ、わかい!僕の知るかぎり、読者の最年少には小学6年生男子がいるようですが、女子高生!
僕のブログが「アイデンティティの確立に役立った」なんて、恐れ多いですが、ほんとうにうれしい。僕が胸を張って言えることは、じぶんさえ、じぶんできちんと肯定してあげることができれば世界なんていくらでも楽しくなる、ということです。
これから十代後半、二十代と、いくらでも楽しい世界が広がってるんだと思うとちょっぴりうらやましくなるけれど、でも僕の場合はそれなりに辛いことも多かったから、やっぱり28歳のままでいいや。笑
すばらしくも楽しいバイセクシュアルの道を拓いていってね。仲間として応援してます。
コメントありがとう。
げんや→アリエルさん
お久しぶりです。コメントありがとうございました。
アリエルさんの文章を読んで、身につまされる思いでした。なるほど。それでも納得しきれないところはあるのですが、でもアリエルさんの言い分は正しくて、感じられた痛みは、きっと僕が意図的に気づかないふりをしてきたものかもしれないと思いました。
結果的に僕の文章がアリエルさんの過去の傷をえぐり出すような形になり、心苦しく思います。ごめんね。
それにもかかわらず、最後まで応援してくれてありがとうございました。
もっと成長して帰ってこられたらいいな。またお会いしましょうね。ありがとう。
げんや→千春さん
はじめまして。こんにちは。
コメントありがとうございました。いただいたご指摘は、僕なりに理解したつもりです。
いつかまたブログを書く元気が出たときは、遊びにきてくださいね。それから文章力についてもお褒めのことばをありがとうございました。
またお会いできる日を楽しみにしています。
げんや→ Kinakinwさん
お久しぶりです。熱心な読者ではなかったとおっしゃられますが、 Kinakinwさんからときおりいただくコメントはいつも僕の胸に深く刺さります。
今回もそうでした。
「きっちり悩んでいるある人のある時期の変化をブログで追う、というのは初めてで」と書いてくださいましたが、ほかの読者の方からも似たようなお話を伺いました。いかんせん、僕はものを書きながら考えを深めていくタイプの人間なので、悩みも垂れ流しちゃうんですよね。その過程を、そっと見守りつづけてくださってありがとうございました。
行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止まる事なし。世の中にある人と住家と、またかくの如し。
ふふ。すてきですね。胸にじんと響きます。
RSSの登録もありがとうございました。またそのときがきたら、よろしくお願いします。
温もりのあるコメント、ほんとうにありがとうございました。
See you soon!!
げんや→「あなたは何様ですか?」さん
あなたの、僕にたいするかくのごとき攻撃的な態度は、現在のあなたの生活における不遇あるいは欲求不満が転化されたものですから、まずはじめに、あなたが、あなたご自身と向き合うところから始めることをお勧めします。
そうしてみると、問題の根っこが、あなたの置かれている現在の環境にではなく、あなたご自身に深く根ざしていることがわかるでしょうから、ご自身の生育環境を見つめ直す必要があります。それというのも、あなたが直面している問題は、じつはあなたの育った家庭環境にこそ問題を引き起こす原因が存在しているからです…、
以上が、あなたが僕になさったおことばをそのままお返しした形になります。どうですか? 胸くそ悪いでしょう?
このような論理展開によってあなたが依拠しているのは、あらゆる問題の原因を生育環境に求めようとする心理学の古典的発想です。しかしこの発想法の問題点は、正解を誰も知りえないところにあります。「生まれ育った環境にこそ原因がある」と言われると、ほとんどすべてのひとが「ああ、もしかして…」と思い当たる根拠を探そうとします。完全無欠のすばらしい環境なんて存在しませんから。(むしろ、なにひとつ思い当たるところがないという人のほうが鈍感だと言うことさえ可能です。)
ところが、本人を含めて誰もがほんとうの正解を知りえないという意味で、この発想法は「スーパー理論」などと呼ばれることもあり、心理学の領域においてさえ批判的見直しが進められています。(ちなみに「スーパー理論」というのは、「言ったもん勝ち」であるとか「それを言っちゃあおしまいよ」という、「理論」とも呼べない「理論」という意味です。)
この発想法が、したがって、いかに暴力的で、何の根拠も持たないものであるかという点について、まず理解してください。
それから、僕がもっとも許せないのは、りふと僕の関係を「昔の日本人の悪いところ」、つまり、「東南アジアに赴任して現地妻に子どもまで産ませておいて日本に帰ってきたら知らんふりをしてきた男達」というアナロジーで捉えているところです。
りふと僕のあいだに、中国/日本という国家間の構造的な力関係が横たわっていることは事実です。たとえば、僕は自由意志ひとつで中国に行くことができます。しかし、りふの場合、中国人ですから、日本を訪れるためにはビザの取得という難関が待ち構えています。そういう意味での国家間の力関係が、僕たちふたりの個人間に影を差していることは事実です。それから、社会人と学生という力関係も忘れてはいけません。差別を生み出す、さまざまな力関係が複雑に入り組んでいるところに、りふと僕は立脚しているのです。
けれども、りふと僕は、そんなもの、糞くらえだと言って、互いに対等なパートナーシップを築いてきたんです。そのことは、僕たちのブログをずっと読んできたひとには理解していただけていると自負しています。
たとえば、僕は、りふに少なからぬ額の学費を貸与していますが、その事実によって僕がかれにたいして横柄に/あるいはりふが僕にたいして卑屈な態度をとるということはありませんでした。また、その気になれば、りふは僕にたいする批判をこのブログ上やツイッターで発信することだってできます。ほんとうに気に入らなければ、アクセス権限を与えてあるのでブログそれ自体を消去することさえ可能なわけです。
つまり、りふは黙って泣き寝入りするような構造には置かれておらず、さらにじぶんの言いたいことを言えないほど非力な個人というわけでもありません。18歳のときに母国を離れて、5年以上も「留学生」という非差別的な立場に身を置き、海外で暮らしてきたんです。それほどひ弱な人間が生き残れる環境ではありません。
したがって、「昔の日本人の悪いところ」や「東南アジア」の「現地妻」というアナロジーによって僕たちふたりの関係を捉えるというあなたの視点そのものが、僕たちがこのブログにおいて綴ってきたふたりの努力を踏みにじった、きわめて侮蔑的な行為にほかならないのです。
あなたはご自身の名前も書かずに、つまりいっさいの責任をあらかじめ放棄したうえで、名前や顔、連絡先を公表して文章を書きつづけてきたりふと僕を愚弄しています。
もし、僕にたいして対等な立場で「批判」するおつもりがあるのなら、よけいなアナロジーや偏見をできるだけ剥いで、それから、あなたご自身のことばをみつけて応答してください。
りふのことを慮っているおつもりのあなたのことばそれ自体が、かれを見下す内容になっていることを自覚してください。
げんや→kituneタツヤ
お久しぶり。元気ですか?
お世辞も含まれているんだろうけれど、このブログが、タツヤにとっていろんな起点として存在していたことを知り、とてもうれしいです。
雑巾しぼりの比喩は例えて妙だよね。たしかにことばを捻り出す作業は、どんなときも苦しい。大量の水が流されることがあれば、しぼってもしぼっても何も出てこないときもある。
今回のことを文章にするときは、身を切るような思いを味わいました。こんな文章をほんとうは書きたくないのだけれど、それでもことばにしなければ僕が僕でいられないような気がして、僕にとってはじぶんの醜悪な部分と向き合うための孤独で、とてもつらい時間でした。
ひとの本質をあらわすものは時間、か。そんなふうに考えたことなかったな。でも言われてみると、納得できるところも多くある。
心に、たいせつに留めておきます。
そのうちまた元気な姿でお互い会えるといいね。それだけなく、ブログの世界でもタツヤと、いつかまた交流できるとうれしいです。
長文のコメントほんとうにありがとう。うれしかったです。
げんや→mangoさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
ふふ。そうなんです。東アジア&東南アジアにとても惹かれるんです。
どうしてだか、じぶんでもはっきりとはわかりませんが、日本とはまるで異なる環境に身を置くと、じぶんがちっぽけな存在であることを思い出すことができるからかもしれません。
才能についてはよくわかりませんが、3人が3人とも平坦な道を歩いていないことは確かかもしれません。ときに、そのことに苦しめられることもありますが、胸を張って、前を向いて歩いていこうといまは思います。
コメントありがとうございました。いつかまたお会いできるのを楽しみにしています。
げんや→あかまんまさん
あかまんまさん。ここではお久しぶりですね。
コメントありがとうございました。最後まで読んで、涙が流れるのを抑えられなかったです。
僕もよく覚えています。あかさんとたけると僕と3人で、ほんのちょっとでしたが大阪を歩きましたね。
たけるも、出会ったころとはずいぶん変わったような気がします。はじめてのゲイタンで出会ったときはまさかこんなふうに親しくなるとは予想できなかったけれど、思い返せば、あのころから少しずつ互いに信頼を寄せるようなコミュニケーションを重ねてきたのでした。
ご助言いただいたとおり、どんなふうに変わっていったとしても僕は僕であることを受け入れてやっていこうと思えるくらいには元気になりました。
名古屋で、あかさんとふたり、いろんな道を歩きながらことばをたくさん交わすことができてうれしかったです。たけるとのこともそうですし、そのほかのことでもいろいろアドバイスいただきありがとうございました。
どんなふうに変わっていくかわらない部分はあるけれど、これからも見守っていただけるとうれしいです。ありがとうございました。
げんや→小夜さん
コメントありがとうございます。
ブログあらためて読み直してくださったんですね。うれしいような恥ずかしいような。
ちょっとのあいだは英気をたっぷり養う休息期間にしようと思っています。でもいつか必ずブログを書き始めるときはくると思うから、そのときはまた懲りずにつき合ってくださいね。
いままでほんとうにありがとう。
げんや→きすけ☆
キッスー。久しぶりよね。
ブログちょっと休止します。とかなんとか言って、キッスーの予想どおり、僕は語らずにはおられないタチだから、どこかで見つけたら懲りずにまた声かけてね。いや、今度は僕のほうから知らせなきゃね。
コメントありがとう。
げんや→Norikoさん
はじめまして。
最後に沈黙を破ってくださって、ありがとう。笑
なんというか、読者のみなさんのなかには、このブログを訪れるに至るにはいろんなきっかけがあることを知らせれてきましたが、Norikoさんのような見つけ方もあったんですね。感慨深いです。
恋としてはうまくいかなかったかもしれませんが、ゲイであることを打ち明けてくれた男性と、これからも楽しくやっていかれるといいですね。僕もこっそり応援してます。
それからNorikoさんとのあいだにはいろんな共通点があるみたいですね。うれしいな。もっと早く知り合えればよかったのに、と思うけれど、つぎに文章を書き始めたときは、またぜひコメントをお寄せいただけるとうれしいです。こんどは村上春樹について語り合いましょう。
文章と写真についてもお褒めいただき、ありがとうございました。うれしかったです。
げんや→myu-さん
ああ、myu-さん!
お久しぶりじゃないですか。ほんの数ヶ月前のことが、なんだかとても遠く感じられます。
おっしゃるとおり、どんな形であれ、また何かを書き始めるつもりです。そのときは、またよろしくお願いします。
ほんまにありがとうね。もしよければ、いつかまた千中で会おうね!
げんや→のんちゃん
ふふ。頬がこけちゃってるのは事実だけど、でも元気です。定期的にプールにも通えるようになったし、ようやく生活が落ち着いてきました。
うんうん。まわりのひとたちはよかれと思っていろんなアドバイスをくれるんだけれど、じぶんにとって何が良いことかなんて、結局のところじぶんが決めるしかないんだよね。のんちゃんの彼にたいする想いと、周囲のアドバイスとのギャップ、痛いくらいによくわかります。
いつか会いたいね。九州に行くことができればいいんだけれど、なかなか機会を見つけられずにいます。
でもいつか会ったら、そういえばあんなこともあったなあ、なんて互いに言っちゃって、笑いながら過去を思い出せるようになればいいね。
After a life!
ちょっと恥ずかしいな。笑。でも初期の初期から応援してくれて、ほんまにありがとう。
また会おうね!
げんや→ヤスミンさん
こんにちは。コメントありがとうございます。
そんなふうにおっしゃっていただけるととてもうれしいです。僕としても、このブログではじぶんの意見を書き連ねるだけでなく、みなさんからの応答を重ねるなかで考えが変わったりネットワークが広がっていったという経緯もあり、みなさんと何かを共有できていたと思っていたのが僕だけの錯覚ではなかったのかと感じました。
また書き始めることがあれば、そのときもぜひ声をかけてくださいね。
そして、レインボーパレードが明日になってしまいましたが、ぜひ声をかけてください!飾りものをつけて、いろんな人に声をかけながらオープンカーに乗ったり歩き回ったりする予定なので、ヤスミンさんからは見つけられるんじゃないかと思います。
お会いできるのを楽しみにしてます!
関西レインボーパレードまで4日をきりました!
11-01,2011



